東京高等裁判所 昭和47年(う)396号 判決
被告人 埴田義雄
〔抄 録〕
事実を総合すれば、被告人運転車両の右後輪ダブルタイヤにはさまれた玉石は、被告人が本件埋立地入口附近から奥へ向かってわずかばかりの距離を後退、前進を二回行なった間に、はさまれたものと見られるのであるが、被告人が、その後公道に出ておよそ一キロメートル余を運転進行した際、なんらかの事情により、これが右後輪ダブルタイヤの間からはね飛び、原判示のとおり、太田清に命中し、同人をして原判示のとおり死亡させたものとみることが相当である(被告人は、当時直線かつ舗装された道路を直進している際、本件事故をひき起こしたものであるから、ダブルタイヤの間からはずれた本件玉石が、どういう力関係で対向車である本件被害車の前面ガラスを破って運転席に飛び込んだのかは、明瞭でない。)が、被告人が本件埋立地内で、本件車輛のわずかばかりの後退、前進を二回行なっている間、および現場を引き上げる際、同車両の後輪ダブルタイヤに玉石がはさまったということ、または、はさまったかも知れないということを認識していた事実の証拠は全く存在しないし、上来認定した各事実からみて、この場合、被告人に、本件埋立地内でダブルタイヤを装着した貨物自動車を後退、前進させるにおいては、埋立地内の玉石がダブルタイヤの間にはさまり、そのままその車両を運転進行させれば、車両の進行中、その玉石がはね飛び、それにより人の死傷を生ぜしめることを予見すべき可能性があったことについては、未だ充分な証明がないものといわなければならない。捜査段階における被告人の供述記載中に、被告人が埋立地を出る際、右後輪を点検すれば、このような事故にはならなかったと思う、自分が不注意であったとの旨の部分があるが、これは、被害者の死亡という重大な結果をひき起こした自己の所為についての道義上の責任を痛感する立場から出たもので、自己の過失を肯定したものとは理解し難い。
さすれば、結局、本件は、業務上の注意義務の内容たる結果発生の予見の可能性につき、証明がないことに帰するから、この義務の存在を肯定した原判決は、事実を誤認したもので、この誤認は、明らかに判決に影響を及ぼすものであるから、論旨は、理由がある。
(堀 平野 林)